歩行者信号の赤と、守るものがあるということ

10月27日、日曜日。この日僕は、自分の財布にお金が全く入っていないことに気がついた。少し時間を置いて昼食を食べられないことにも気がついた。まずい。

仕方がないので、ブックオフへ向かい、自身の卒業論文の参考図書だった「セックスと恋愛の経済学」をはじめとする10冊ほどを売っぱらった。700円。

そのまま「はなまるうどん」へ足を運んだ僕は、うち500円を使って、しょうがあんかけの卵とじうどんを注文し、席についた。「注文を受けてくれた女性の店員さん、俺が目を合わせたらすぐそらしたな……そんなキモいかな俺……」なんてことを考えながら10分もしないうちに、はなまるうどんを後にしてあとは自宅へと帰るだけだった。

その道すがら。順調に自宅へ向かっていた僕だったが、最後の歩行者信号は赤のままじっとしていた。僕は思わず止まる。当たり前だ。

僕は信号を渡る際、あるルールを定めている。それは信号が赤だった場合、急いでいない時は必ず止まり、手に持つアイスが溶けそうな時や仕事に遅れそうな時は緊急事態として渡ることをやむなしとする、そんなルールだ。だから今、急いでいない僕は止まっている。

そんな僕の視界の隅の方で、せかせかとした小太りのおばさんや、THE・中年といった風体のおじさんが、横に引かれた白い白線の上をズカズカと歩いていく。信号は変わらず赤のままであるにも関わらず。軽蔑はしない。しかし尊敬もしない。

一方で、信号の色が変わる瞬間をじっと待っている人たちが、こちら側に1組、道路を挟んで向こう側に1組いた。こちら側の一組は、母親と娘の2人組の親子。アンパンマンのぬいぐるみを大事そうに抱えた娘を、もっと大切そうに母親が抱えている、そんな構図だった。

向こう側にいたのは、30代後半くらいの女性と、リールに繋がれた茶色い毛玉みたいな犬。

ああ、そうか。と僕は思う。この歩行者信号というものは、ルールに従わない人間をあぶり出すだけでないのだ。守るものがある人と、ない人を発見するための装置でもある。自分の身が危険に晒されるだけなら、危険を考えないけど、守るものがある人は最悪の事態を常に想定しているのかもしれない。

今日の僕が見たケースだと、それは娘を守る母親と、ペットを釣れる飼い主だった。

さらに気がつく。じゃあ僕は?この赤い信号に立ち止まっている僕は、一体何を守っているのだろうか?自分で決めた無意味なルール?赤信号を忠実に守る、他2組の目を気にしてしまう脆弱な心?いや、そんなことではないはずだ。

鈍重に思えた赤信号が、スマートな青に切り替わった瞬間に、僕は右手に握られていたものを確認する。僕はこれを守っていたのだと気がついた。

 

 

右手に握られていたのは、2分前に自販機で購入した160円のジャパンクラフトマン カフェラテだった。

 

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